街場のメディア論
2010-09-10 22:35 JST @sadayuki
たぬきち 氏の記事、 書気あたりしてしまった——押井守『勝つために戦え!』内田樹『街場のメディア論』 を読んで、思わず衝動買いしてしまった。これまで 内田樹 という名前は聞いていたが、初めて著作を読んだ。面白かった。
まず最初に思ったのは、こんな講義を聞ける大学生が羨ましいという事。本作は、著者の 大学 での講義を本に起こした物だそうだ。その幸運を味わえる人であることを祈る。
色々面白かったのだが、まずは「天職」とは何か。元々の講義は、キャリア教育 の一環だそうで、この辺が本題なのかも。
ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を持っては代え難いものとして、召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。
「天職」とは自分に向いた仕事ではなく、懇願されて「他人のために」働くときに出会うと。英語の天職は vocation 、calling 。どちらも神に呼ばれて職を与えられる。今風のキャリア教育とは合わない。良いのかな。こんな講義で。
出版業をビジネスだけで捉えてはいけない。これも面白かった。著作物そのものに「価値」は存在しない。著作物を受け取った、読んだ、聞いた人が「感謝と敬意を表したい」と思ったときにはじめて「価値」が発生する。
僕が言いたかったことは、人間たちの世界を成立させているのは、「ありがとう」という言葉を発する人間が存在するという原事実です。価値の生成はそれより前に遡ることが出来ません。
素直に受け取ると、次のようになる。
電子書籍は無料で配り、読者の好きな価格を付けてもらう。
これと同じようなことを音楽でやった人達がいた。書籍でも最近、ちょっと流行っているかも。
あと、電子書籍では人に見せる書棚が作れないからダメだ、というのが興味深かった。書棚というのは、そうなりたい自分、人に見せたい自分、自分の読んだ本、色々な意味があるそうな。
選書と配架におのれの知的アイデンティティがかかっていると思っている人間にとっては、「今読みたい本」と「当面読む気はないのだが、いずれ読まねばならぬと思っている本」と「読む気はないが、読んだと思われたい本」は等価なのです。
電子書籍における「書架」に近いのは、読んだ4! のようなオンライン読書記録サービスや、読書の感想を書き込むこのブログのようなものだろう。読んだ4! は Amazon へのリンクを管理できるが、今後雨後のタケノコのように出てくる電子書籍サイトを全て網羅するのは難しいので無いか。
実在の「書架」は、買ってきた書籍を全て配架できるが、見せることが出来るのは家に招いた人だけだ。反対に、電子「書架」は、全世界に見せることが出来る。どっちが良いのだろう。家に来た人は誰でも家の書架に驚いてくれる。それは楽しいものだ。
こうした面白い書籍を紹介してくれるのも、「贈与」なのだろうと思う。その贈り物に「反対給付義務」を覚えて私は、ささやかではあるが返礼をしたいと思う。通常は紹介する本のリンクには自分のアフィ ID を埋めるのだが、今回は たぬきち 氏のアフィを埋めている。まあ、売れないとは思うけどね。